Unless Otherwise Specified

ぐるぐると考えております

高校を卒業した話

彼女は、短く切り揃えた黒髪の奥に、月のような凛とした瞳を持つ人だった。

弓道部に所属する彼女は部活一筋で、陽によく焼けた肌はその熱量を物語っていた。

教室では仲の良い女の子といつも一緒で、休み時間のたびに弾けるように笑い合っていたが、クラスの男子がちょっかいを掛けると途端に冷ややかな視線で追い払っていた。

僕はそんな彼女をひと目見たときから意識していたが、いつも楽しそうに話している女の子二人の間に割って入る勇気も起こせず、もどかしい日々を送っていた。

 

制服を衣替えした彼女を目の端で追っていた頃、転機が訪れた。

模試の試験監督補佐のバイトで、たまたま彼女と一緒になったのである。

...というのは嘘で、実際には彼女がそのバイトへ行く噂を耳にしてから慌てて申し込み、彼女と一対一で話せる絶好の機会をどうにか手繰り寄せたのだった。

なるべく平静を装い、しかし顔を真っ赤にしながらメールアドレス交換を持ちかける僕に、彼女はいたずらっぽく笑いかけてくれた。

彼女が初めて見せる表情を前に、こうして二人で話せる時間がいつまでも続いたらと願わずにはいられなかった。

 

制服の袖まくりが板についた頃、相変わらず仲の良い女の子と四六時中一緒に居る彼女とは、面と向かって話す機会こそ滅多に無かった。

一方、クラスで"LINE"という連絡ツールが流行ったことも後押しし、毎晩文章でやり取りすることは日常となっていた。

教室で視線を交わすたびに彼女を意識し、文字を重ねるごとに彼女への思いは募った。

 

夜が長くなってきた頃、彼女は僕の好意にとっくに気づいていたし、僕もまた彼女からの好意を感じ始めていたが、僕はどうしてもその先の一歩を踏み出せずにいた。

いくら文字を重ねたって、面と向かって話した時間はほとんど無い。

そんな歪な関係が、僕をたまらなく弱気にさせ、せめて今の関係を手放したくないと思わせるのだった。

 

ある日の放課後、まだ部活を続けている彼女を見かけた。

弓を構えた彼女の刺すような瞳を、僕はずっと見ていたいと思った。

やがて僕に気づいた彼女に手を振り返しながら、僕はようやく覚悟を決めることができた。

 

カボチャやコウモリで飾り付けられた教室で、僕は初めて自分の足で彼女の席に赴き、震える手で、手紙を忍ばせたお菓子袋を彼女に渡した。

"話があるから明日の放課後会おう。"

そんな一言ですら僕は文字に頼って伝えるしか無かった。

 

翌日の放課後、彼女は来なかった。

「いつも一緒にいる女の子と別れることができなかった。」

その夜の電話で、彼女はそんなようなことを言っていた。

「本当に嬉しいし、私も同じ気持ち。でもそれ以上に、あの子との関係を失いたくないの。」

彼女が返してきた言葉は、僕に全く響かなかった。

でも、これが彼女との最後だった。

 

僕は彼女を本当に愛おしく思っていた。

いつだって健やかに過ごしてほしい、できることなら隣りに居たい、といつだって願っていた。

そんな彼女に納得のいかない理由で突き放され、その喪失感も癒えないまま、僕は高校を卒業した。





忙しい大学生活に追われながら、僕の心の一部はまだ、高校時代に囚われ続けていた。

ふとした瞬間に訪れる胸の痛みはいつだって新鮮で、月日が経っても全く手加減してくれなかった。

そんな中、高校の同窓会が開かれることになった。

お酒飲める年齢になったし、久しぶりにみんなで会おうぜ。

そんなLINEグループの参加者リストには、彼女の名前もあった。

 

まだ入り慣れない居酒屋で、僕は彼女の斜め前に座った。正面に座る勇気は無かった。

少し大人びた彼女は本当に素敵で、あの頃の胸の高鳴りが色褪せることなく蘇った。

そんな自分自身に半ば呆れながらも、お酒の力もあってか、彼女とは自然に話すことができた。

大学でも弓道を続けていること。

高校の頃いつも一緒だったあの子は女子大へ進み、そう頻繁には会わなくなったこと。

大学で彼氏ができたこと。

 

僕はこの日も、高校時代から抜け出すことができなかった。





僕は大学院に進学しても、高校時代に使っていたSNSをたまに覗いていた。

一足先に社会人となったクラスメイトたちが、会社の愚痴を書き連ねていた。

その中には彼女の投稿もあり、たまに現れる彼女のアイコンに胸を刺されながらも、どうしてもフォロー解除だけはできなかった。

 

ある日、彼女が指輪を3つ並べた写真を投稿した。

高身長で体格が良く、焼けた肌がよく似合う爽やかな男だった。

幸せそうな笑顔で写真に写る二人には、自分が決して手に入れられなかった時間の積み重ねを感じた。

 

その後暫くの間、彼女は仕事の愚痴よりも共同生活に対する不満を投稿していた。

僕が読み慣れた言い回しで、彼女は僕の知らない生活を綴っていた。

そんな投稿も次第に減っていき、やがて彼女のアイコンを見かけることはなくなった。

そうしてようやく、僕は彼女のことを思い出さなくなり、ほんとうの意味で高校を卒業できた気がした。